2010年06月13日
一時の出会い
昨日の話。
バスを待つ間、お年寄りと喋った。
ぼんやり椅子に座ってたら歩いてやってきたお婆ちゃん。
席をずれて勧めると、最初ははにかんでたけど折角だからと一緒にちょこんと座った。
『(バス停)一駅といえど歩くの大変だから…。歳を取ると足腰がどうしても弱ってしまうのね』と彼女は語る。
『靴や道路の舗装(アスファルトやコンクリ等)に伴(ともな)い、足への衝撃が知らず知らずのうちに蓄積されていくからね』と言うと、[そうか]という顔をした。
俺は[出会いは師である]という考えの元に、初対面の他人と話す時の垣根は低くしてある。
だけど今の世は隣人と話す事もいつも見掛ける顔への挨拶すらも無い。
挨拶は決して強制ではないが、自他を守る最低限のコミュニケーションだと思っている。
日頃のコミュニケーション不足から、助けを求めたり・助けたりの発想そのものが生まれないケースが多々ある事を忘れてはならない。
便利になるにつれ、我々の気付かぬ所で何かに皺寄せがある事実。
これらの話になるとお婆ちゃんは目をくりくりしながら喜んだ。
バスを待つ間、お年寄りと喋った。
ぼんやり椅子に座ってたら歩いてやってきたお婆ちゃん。
席をずれて勧めると、最初ははにかんでたけど折角だからと一緒にちょこんと座った。
『(バス停)一駅といえど歩くの大変だから…。歳を取ると足腰がどうしても弱ってしまうのね』と彼女は語る。
『靴や道路の舗装(アスファルトやコンクリ等)に伴(ともな)い、足への衝撃が知らず知らずのうちに蓄積されていくからね』と言うと、[そうか]という顔をした。
俺は[出会いは師である]という考えの元に、初対面の他人と話す時の垣根は低くしてある。
だけど今の世は隣人と話す事もいつも見掛ける顔への挨拶すらも無い。
挨拶は決して強制ではないが、自他を守る最低限のコミュニケーションだと思っている。
日頃のコミュニケーション不足から、助けを求めたり・助けたりの発想そのものが生まれないケースが多々ある事を忘れてはならない。
便利になるにつれ、我々の気付かぬ所で何かに皺寄せがある事実。
これらの話になるとお婆ちゃんは目をくりくりしながら喜んだ。
やがてバスがやって来た。
バス停で待ってたのは俺とお婆ちゃんだけだったので先を譲ろうとしたのだが、結局譲り合いになってしまったので先に乗り込む事にした。
降りる際にかわいい笑顔で『ありがとう』と手を振ってくれた。もちろん俺も笑顔で振り返した。
短い時間だったけど、心がほっこりする出会いはこれからも大切にしていきたいと思ったね。
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バス停で待ってたのは俺とお婆ちゃんだけだったので先を譲ろうとしたのだが、結局譲り合いになってしまったので先に乗り込む事にした。
降りる際にかわいい笑顔で『ありがとう』と手を振ってくれた。もちろん俺も笑顔で振り返した。
短い時間だったけど、心がほっこりする出会いはこれからも大切にしていきたいと思ったね。
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Posted by 久我 at 08:06│Comments(0)
│◇日常風景?